2016年09月30日

鹿島鉄道撮影の思い出

今月は風邪気味であまり活動ができませんでした。本ブログもしばらく更新できませんでした。
なので、本ブログには「過去の撮影記」というカテゴリーを設定してますが、そこには少ししか記事を書いていないことと、茨城県に2007年まで存在した鹿島鉄道の沿線にお住いの方と最近知り合ったことから、少し思い出話を今回書こうと思います。
私は鹿島鉄道には1983年2月と1992年8月に撮影目的で訪れています。1度目の1983年はまだバブル経済前ですので、この線区の沿線はかなりのノンビリムードが漂ってました。特に霞ヶ浦の近くでは、二本のレールがあるだけで架線も電柱もない荒涼とした中を、筑波山を眺めながら古い気動車がゆっくり走っていました。車内は初めて聞く「バリバリの茨城弁」(笑)の人たちがゆったりした時間を過ごしていました。東京から比較的近いのに、かなりのローカル色豊かな線区だったという印象です。
駅名.jpg 車内.jpg
車内表示が関東鉄道鉾田線のままだったり、荷物が積まれていたり、本当にノンビリしてますね。
そしてご覧のように撮影地としては、桃浦ー常陸小川の夕陽シーンが特に素晴らしかったです。
筑波山麓.jpg 桃浦カラー.jpg 桃浦.jpg
また、この撮影を終えて帰ろうとしたその時、突如予定外の轟音が聞こえてきました。現れたのはDD901牽引の貨物列車です。
DD901.jpg
慌ててカメラを出して撮ったのですが、モノクロでしかも露出アンダー。このディーゼル機関車の魅力である車輪のロッドとカムが写ってません。しかし、私には博物館から飛び出してきたような、あのアメ車的な古い凸型ボンネットデザインと、せわしなく動く車軸を回して煙を噴き上げながら走る姿が目に焼き付いています。気動車の方もそうなんですが、当時は古典的車両がまだ各地に残ってました。
2度目の訪問は1992年8月ですが、これは予定外に突如旅費他人持ちで行けたという曰く付き?の撮影でした。車両もさすがに近代化され、沿線も様相がじわじわ変わっていた感想を持っています。
1回目の2月と違い、夏なので日没方向が筑波山の方に動きますので、アングルを変えました。浜ー玉造町のカーブ付近です。逆光で見えにくいですが、筑波山も写っています。当時は当然フイルム作品ですが、強烈な印象ですね。
浜2.jpg 浜1.jpg
バブル期を経て様相が変わりつつあると言いましたが、撮影を終えて以前に撮影した桃浦付近に行ってみると、そこは相変わらず静かな日常の世界でした。
桃浦夕刻.jpg 桃浦駅.jpg
私にとっては鹿島鉄道は美しく楽しい思い出の場所です。
(おまけ)
2度目の訪問で撮影した浜ー玉造町のカーブの上空からの写真です。国土地理院が無料提供している空中写真を引用加工しました。
(出典:国土地理院提供の空中写真 http://mapps.gsi.go.jp/)
1枚目は1994年撮影。私が撮影した時に近いです。2、3、4枚目はこの場所がどんな風に変化してきたか見ていただくためにアップしました。それぞれ、1974年、1982年、1985年の撮影です。
護岸工事や道路建設が進む姿がわかりますが、注目は浜駅裏の小さな港と水路。だんだんと埋め立てられていきますが、これぞ鹿島鉄道最大の謎を解く鍵。(!?)
実はこの浜駅から南へ分岐して鹿島神宮方面に伸ばす計画が当初あったようなのですが実現せず、鉄道会社が霞ヶ浦の舟運をここで行っていたそうです。石岡〜鉾田を直線ではなく大きくV字に結んだ妙な鉄道にはこういう経緯があったんですね。
CKT943X-C2-22-2.jpg CKT7412-C37-52-1.jpg KT822X-C4-4-1.jpg KT851X-C9-4-1.jpg
posted by 労軽好人 at 11:32| Comment(2) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月06日

思い出の近鉄鮮魚列車1970年代編〜旧1400系他

先日は近鉄大阪線の鮮魚列車2610系代走記事で失礼をいたしました。たまたま最後に撮影した日が今回の最終日になったのに、その後も続くかのような表現をしてしまいました。
いつ代走が終わるのか等の情報は関係者しかわからないことです。ご了承ください。
さてそれで、お詫びの印と言っては何ですが、私が撮影し、所有する1970年代の近鉄鮮魚列車写真をアップさせていただきます。あまりネット上でも見かけないものです。
まずは、こちら。
000017.JPG
手元のメモでは1979年7月28日撮影です。元奈良電特急車が最後に600系になる前に一時ク1322だったころです。朝の大阪上本町行きですが、撮影地は不明です。当時名古屋線で行なわれていた、10100系ビスタカー3重連の撮影に向う際に撮ったものと思われます。
この写真よく見ると、今と違い乗客がすごく多いです。また、私的には?ちらりと見える2両目の車両のヘッドライトが気になります...
次はこの2枚。
000010.JPG 000011.JPG
モノクロですが、旧1400系(吊り掛けモーター駆動車)2両時代です。モ1404+ク1321です。1975年8月14日撮影。当時はご覧のように、子供が遊ぶ原っぱが鉄道敷地と一体化しており、容易に撮影できる場所が多かったです。
最後は、私の所有する最古の鮮魚列車写真しかもカラーです。1975年4月6日撮影。
000006.jpg
標準レンズ使用と思われるものをカットしたので少し荒いですが、夕方の松阪行き4連です。旧1400系の唸り音が聞こえてきそうな気がします。
あれから40年が経ちました。残念ながら時々見られた名古屋線2200系の写真は鮮魚列車としてはありませんが、当時は毎日のように車両が変わり、時にはビックリ車両が長大編成で来たりと、楽しかった思い出です。

posted by 労軽好人 at 15:45| Comment(2) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月30日

撮影に行きたくない場所ありませんか?播但線寺前のお話

暑すぎた夏もようやく終わり、秋になってきましたね。
さてこの鉄道写真撮影記by労軽好人ですが、どうも最近記事になるネタがない。というよりも、撮影をしていないのであります。ダメですね…
仕方がありません。こんなときは例によってネタ話をひとつ。
以前に「京阪土居ー滝井で駅伝!?今のはあか〜ん!」というタイトルでネタ話を書いたときは、鉄ちゃんはもとより、一般読者からも大いにウケたので、今回もウケそうな?ネタにしようかと思います。
実をいうと、今私は自転車を物色しているところです。もちろんただのママチャリではなく、スポーツ車の一つである、「クロスバイク」という種類の自転車であります。スポーツ自転車のなかにも分類があり、大きくは「ロードバイク」(ドロップハンドルの軽量車)、「MTB(マウンテンバイク)」、「小径車(折りたたみ車)」というカテゴリーから新たに生まれたのが「クロスバイク」です。つまりそれぞれの特徴を集めたものといえます。見方によっては中途半端と考えられなくもないですが、実際に走ってみると実に軽快でスピードがでる楽しくかっこ良い存在といえます。少し高くついても自転車はそうありたいと考えるのは贅沢ですか?とはいっても価格帯には大きく幅があります。ネットやカタログで調べると安いもので3万円くらいからあります。海外からの輸入車がいわゆるブランド車でかっこいい!自転車ということができます。
でも私はそこまで凝ってるわけではないので国産ブランドでもいいわけで、まずはお試しと思って調べていたら非常に気になる一台を見つけました。
コーダブルーム(KhodaaBloom)というブランドの愛称がRailという自転車です。Railって…良すぎる。(笑)フレームにRailの文字が入っているし、価格も安いので思わず手が出る一品です。ただ、調べてみると問題がありました。一つはこのコーダブルームというブランドは穂高(hodaka)という国産メーカーのものなのですが、歴史が浅く手に入りにくいのであります。(ちなみにhodakaを並べ替えるとkhodaaになる)また、今ちょうど2011年モデルの発表時期で2010年モデルは在庫切れ、2011年モデルはまだという谷間時期なのでなおさらです。せっかく気候が良くなったのに…
ということでいろいろ楽しく迷っているところです。
が、しかし、私にとって自転車はいい思い出だけではありません。今を去ること21年前の1989年に悪夢は起こったのであります。
若気の至りでうれしがって?ロードバイクを買い、いきなり山へ友人2人に連れて行かれたまでは良かったのですが、帰り道の急坂で突如雨が降り出しブレーキが効きにくくなったところへ19才の少年が運転した車がヘアピンカーブを曲がって登ってきたのです。私から見て左側はU字型の深い溝で足が着けず、また右側にはバイクの集団が雨具を出すために止まっていたのでその車は私を避けることができなかったのだと思います。「ガァ〜ン」とドロップハンドルは車に当り、私は右の腰を地面に打ち、さらにスローモーションでも見てるように右頬が車の右ドアに接触しました。幸い骨折もなく後遺症もありませんが、一歩間違ってたらイッカンの終わりでありました。
そんなことがあったので自転車が嫌いになり、それ以降自分の自転車というものを持っていません。でも、さすがにもうそろそろと思いますしね。
…じつはこれもちょっと気になってます。「もうそろそろいいだろう」と思ってこの事故現場近くの播但線寺前付近に撮影に行ったことがあります。キハ181系「はまかぜ」がメインです。2003年12月4日ですから、事故から14年が経過してました。事故現場近くの寺前へは行きたくないと思い、生野ー長谷を目指したのですが、どういうわけか沿線が工事中通行止めで車は大きく迂回しなければならない状況でした。仕方なしに撮影地を求めて姫路方面におりてきたのが、寺前付近です。生野越えを駆け下りてきた「はまかぜ」を紅葉の山をバックに撮れるいい場所を見つけました。ただ、寺前って…ちょっといやだなと思いながら列車が来るのを待っってました。そして何を思ったのか私は自分がどこに座っているのかも忘れて思いっきり立ち上がったところまたもや「ガァ〜ン」と大きな音をたてて頭に激痛が走りました。農作業をしていたおばさんが驚いてこっちを見たくらいです。なんと踏切にある反射板、それも厚みがありガチガチに固定しているものの角に頭をぶつけたのであります。「ウウ〜」とその場にうずくまり、手についた血を見ながら車に戻って絆創膏で応急処理をしました。このまま、帰るべきか、近くの病院へ行くべきか…しばらくすると痛みも引いてきた(ような気がした)ので最後に「はまかぜ」撮ってから帰ることにしました。タオルを頭に巻いて撮った決死の写真がこれです。
000001.JPG
結局帰ってから病院に行き、幸い骨には異常なしだったものの、一針縫う怪我になりました。あかん、播但線寺前はあかん!鬼門や!いや、「もうそろそろいいだろう」が危険なのか?だとすると、今回の自転車購入はやっぱり安全重視で車種決定しましょうね…ということだろうか。
ああ、人生は巡り巡るというお話でした。
posted by 労軽好人 at 12:42| Comment(4) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

城東貨物線思い出のシーン3

城東貨物線思い出のシーン3です。お待たせしました。今日も蛇草信号所です。またか...なんて言わないでください。前回の写真からの変化をお楽しみいただきたいと思います。
永らく続いた変化のない平和な時代が終わり、いよいよ「大阪外環状線」(当時の通称)着工となったおおさか東線ですが、蛇草信号所ではまず撤去ありきでした。写真のとおり通過線側がまずはずされ、問題の詰所?も解体されました。信号所の廃止です。前にも書きましたが列車本数が減ったそのときにはもうすでに信号所としての仕事は何もしていない状態だったのですけど廃止されるとなると感慨深いものがありました。高架工事が始まる前の一瞬の写真です。(撮影2003年8月28日)
蛇草信号所工事開始後
その後はさながら工事現場写真のようになってゆきます。(全くそのとおり当たり前ですが)貨物線は高架下を所狭しとすり抜けることになります。この間のことは私も少しはこのブログで紹介したとおりです。今回開業する放出ー久宝寺間の部分についてはこんなところです。ちょっと(だいぶん?)蛇草信号所に偏ってしまいましたね...他にもありますが面白みという点でやっぱりここかなと思いました。
次は城東貨物線北線部分かな??それとも...気が向けば何か出します。
posted by 労軽好人 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月11日

城東貨物線思い出のシーン2

城東貨物線思い出のシーン2です。今日は蛇草信号所です。
...その前に、昨日の記事を読み返すと最後の肝心なところが言葉足らずですね。しかも大事なことを書き忘れていました。実はこの3月8日をもって俊徳道ー平野の地上貨物専用仮線の使用が終了し、9日から高架に移行したんです。「今アツい」なんて書いてますが、もう終了です。今から行っても強者どもの夢の跡しかありません。(それをも記録しときますか?)
それで、昨日の記事ですが、工事が始まる前のまだキレイな状態の写真を出させていただいたというわけです。
そして今日ですが、工事前の城東貨物線蛇草(はぐさ)信号所です。ここは俊徳道の少し南でJR長瀬のやや北にあった信号所です。いや、構内は重なっていると思います。
今日は3枚出します。まず1枚目。お決まり八尾北街道踏切からの信号所全景が撮れるアングルです。バックに近鉄俊徳道のアーチ橋が見えます。300mmレンズ使用ですが、今思えばほんとにすっきりと撮りやすい場所だったと思います。あえて列車がこの位置のものにしたのは信号所の詰所の建物を見ていただきたかったからです。太古の昔はともかく、もう近年はこの蛇草信号所は信号所とはいっても交換列車はなく、ただ通過するだけのものでした。にもかかわらず詰所に人影がよく見えたものです。...何の仕事があるのかな?とか思ってました。
手前のレールの上でハトがDD51の接近を呑気に見てます。撮影2001年4月5日。
蛇草信号所工事前
次も蛇草信号所の写真です。えっ?と思われるかも知れません。城東貨物線は特に放出以南は工場地域の中を地味にゴトゴト走るイメージがあるかも知れませんが、こまめに探すとイメージとは違ったレールウエイシーンを見つけ出すことはできます。この写真は沿線のお宅の桃の木(と思います)をお借りしました。借景のワザですな...DD51のエンジン音、ジョイント音とともに春の暖かい風が感じられます。撮影2001年4月5日。
蛇草信号所春
そしてもう一枚は逆側から上り列車です。蛇草第1踏切から撮りました。上りは交換列車がなくても律儀に待避線に減速して入って通過していました。平野では逆行しているのに不合理なお決まりだと思ってました。上で述べた詰所の中がよく見えています。ノゾキ趣味ではありませんが、このときも人影がちらちら。とにかく城東貨物線では「廃止になるまでは昔のとおり」というのがルールであったのでしょう。
実はこの列車、DD51831号機の「さよなら運転」だったようなんです。ラストランと聞いて撮りに行きました。(別にそこまでこだわりはないんですが、ついヒマがあったので...)私の横に写真を撮らずに見てるだけのナゾの人がこのときおられましたが、今思えばひょっとするとその人こそが情報源の方だったかもしれません。撮影2002年5月9日。
DD51831ラストラン
昨日、今日と工事前の平和な姿をとらえた写真をお出ししましたが、2003年あたりから様子が変わってきます。次回をお楽しみに。

posted by 労軽好人 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

城東貨物線思い出のシーン1

今週はJRおおさか東線開業直前特集と銘打って!?城東貨物線のこの間の思い出のシーンを少しお出したいと思います。といっても太古の昔の城東貨物線の写真は残念ながらなく、あくまでこの間の写真であることはご了承いただきたいと思います。久々の過去の撮影記です。
今日は平野の逆走シーンです。城貨ファンの方には当たり前のことかもしれませんんが、あまりこのようなマニアックというか、小さなことは全国の鉄道ファンにも知られていません。ましてや一般の方は...近所の人しか知りません。(笑)
城東貨物線を南下してきた下り列車は関西本線加美ー平野間の分岐点まで来ると本来ならば平野駅までの約600m程を左側通行すべくポイントを一端渡り南側に行った後、駅に近づくともう一度ポイントを渡って平野の北側に展開する百済貨物駅に入るべきだと思われるのではありますが、ここではそういう面倒なことはせず!?そのまま右側通行で関西本線上を逆走して平野まで行き、そのまま百済に入るようになっているのです。この約600mの直線部分は平野駅構内の扱いだと聞いたのではありますが、ちょっと長過ぎる感があります。貨物列車は本数が少ないからまあいいじゃないか、くらいに今の感覚では思うのではありますが、実際これが関西本線のダイヤを乱すこともあるようです。すべては70年代半ばまで大都市圏でありながら非電化でのんびりしていた関西本線の国鉄時代のなごりの一つだとも思われるのですが...
で、前にも書きましたが、ここが今、鉄ちゃんにとってアツいポイントのようです。私も以前よりどうなるんだろうと関心を持ってましたが、とりあえず、7年程前に撮ってある勿論工事前の逆走シーンをお出しします。DD51がダイヤを乱してはイカン!とばかり激走しています。
平野逆走撮影2001年4月26日。
posted by 労軽好人 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

ああ青海川が!

本日10時13分ごろ、新潟県上中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が発生した。3年前の中越地震に続いてまたこの地域での大地震である。被災された方々には御見舞い申し上げます。
私はこの地域には2003年12月31日に訪れている。まだ前の地震の起こる前である。急行『きたぐに』で柏崎で降り、信越本線米山-笠島へまず行った。日本海と北アルプスがダイナミック見える丘からの撮影が目的だ。しかし天候が思うようにならない。(そんな話ばっかりだが...)うっすらとしか北アルプスの山々は見えなかった。
そして問題の青海川である。「海に一番近い駅」として有名であるが、テレビで写し出された姿にショックを受けた。駅の裏山が崩れ、ホームを押しつぶして線路を完全に埋め尽くしているのだ!手元の写真を確認してみると、あの土砂に埋まったあたりで一枚撮っている。恐ろしい限りである。
青海川では上を通っている国道へ通じる道からや、東側に突き出した恋人岬からの撮影など様々なアングルを試みたのであるが...とにかく雨と風がひどく傘はぶち壊れ、服はずぶぬれと悲惨な思い出が残っている。
「冬の新潟って雪とちゃうの?」と愚痴ったことが次回への決意のつもりであったのだが、地盤が安定しないうちはちょっと足が遠のくかも知れない。
被災者の皆様にはきつく聞こえるかもしれないが、それが正直な気持ちである。
しかし、またいつか見事復旧し美しい姿を見られれば、「行きたい!」という気持ちが沸々と湧いてくるかも知れない。それが写真鉄魂だ。早期の復活を願わずにはおられない。
posted by 労軽好人 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の撮影記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする